Studio Zero Frontierとは
スクール方針
当スクールは、あらゆるジャンルのダンスをお気軽にお手軽に踊れるようにし、楽しく学び、美と健康を自然に身に付ける事が出来るようなダンスとの触れ合いを基本理念にしております。
そして健常者及び障がい者そして高齢者と子供たちが共生したユニークなダンスクラブです。
社会の共生と、日常を離れて音楽に乗って楽しく踊る環境を目指しております。
経営者ごあいさつ
ようこそ!「Studio Zero Frontier」オーナーの四本紀代美です。
当スクールは、昭和8年に日本で最初のダンススクールとして深川高橋に創業した「高橋ダンス教室」から発祥して、昭和21年に大森山王に改めて戦後開設した草分け的ダンススクールです。
今後は、ダンス愛好家の皆さんが楽しくダンスを習うよりも踊れるスペースとして提供して行くスタジオに変身して、そしてコンテンポラリーバレエを始めとするサルサやラテンダンス、Hip-Hopそしてブレーキン、アルゼンチンタンゴ等あらゆるジャンルの講師をお招きして、楽しんで戴ける老若男女問わず年齢や健常者障がい者のノーマライズしたユニークなダンスカルチャーをずっとずっと提供し続けて行きたいと思っております。
平成29年12月 代表 四本紀代美
スクール沿革
昭和8年 | 深川の高橋に日本で最初のダンススクールである「高橋ダンス教室」を創設。 |
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昭和21年 | 戦後の焼け野はらの中、現在の大森山王にて「四本ダンス教授所」を創設、当時はダンスホールで社交ダンスを教授していた戦前と変わって日本で初めてのダンス教授を主たる目的とした教室としてスタートした。 それまでの日本社交ダンス教授所協会を尊重して、大森山王の教室で当時のダンス界の主だった方々を参集して新たに社団法人日本社交舞踏教師協会を作った。その使命として日本全土にダンスの普及を図る事にあったので、創設者の四本勝男・恒子夫妻は3人の子供に留守番させて全国を汽車で周りデモンストレーションを行ってそのお金を協会の活動の為にと各地に置いて全国組織の布石を敷いて、それが後々の公益財団法人日本ボールルームダンス連盟へと発展した。 |
昭和42年 | 大森駅東口に移設、貝田ビルを築き「大森ヨツモトダンススクール」となり、青戸ヨツモトダンススクール、蒲田ヨツモトダンススクール、自由が丘ヨツモトダンススクールの4つのスクールを開設。 |
平成19 | 年 現在の大森山王に「Studio Zero YOTSUMOTO」を3代目大竹実・四本紀代美共同事業として開設。 |
平成29年 | 同じ大森山王のキャビックビルに移設、「Studio Zero Frontier」として総合的なダンスカルチャースクール及びSocial Clubとして経営を一新する |